― 慶應卒・18億企業を継いだ男が、転落と再生の末に掴んだ“6億円のリアル” ― 二代目社長、孤独の決断
2025年8月12日
■ プロローグ ―「勝ち組」のはずだった人生
あの頃、すべてが“整って”いた。
父が創業し築き上げた印刷会社は、地元で知らない者がいない名門企業。
年商18億円。オフィスは駅前の自社ビル8階建て。営業所は3拠点、社員は70名超。
私は慶應義塾大学を卒業し、大手広告代理店に入社。
三田会の縁で業界人脈も広がった。だが、私は「付き合いが悪い」とよく言われた。
確かに、酒席にもゴルフにもほとんど顔を出さなかった。
結果的に、肝心なときに“助けてくれる三田会の仲間”はいなかった。
30歳で地元に戻り、父の会社に入社。32歳で代表就任。
それが、地獄の始まりだった。
■ 第一章:知らぬ間に時代は変わっていた
「紙を刷れば金になった時代」は、完全に終わっていた。
- ネット印刷の台頭
- 広告費のデジタルシフト
- 大手得意先の内製化・コストカット
- 社員の高齢化とアナログ文化
現場は「前と同じやり方」を繰り返すばかり。
しかし、数字はウソをつかない。就任後3年で売上は18億から9億→6億→3億と急降下。
利益はすでに赤字、借入返済もままならない。
父が建てた自社ビルは、今や“資金繰りの足かせ”になっていた。
■ 第二章:社員を守るために、父の象徴を壊す
そんなとき出会ったのが、エスエスコンサルティングだった。
「守るべきはビルではなく、事業と雇用です」
その一言に、私は肩を震わせた。
資金繰りの抜本的改善のため、
父の象徴だった自社ビルを解体し、立体駐車場に転用。
周辺は再開発が進み、月極契約は満車、イベント時にはスポット利用も増加。
その結果、年間6,000万円の安定収益を確保。
キャッシュフローは改善し、金融機関の評価も見直された。
「“オフィス”じゃなくても、会社は回せる」
私はようやく、“会社のかたち”を疑うことができた。
■ 第三章:本業の再設計と“6億円”のリアリティ
資金が回りはじめたことで、私は本業の再定義に着手した。
- 印刷物の“アウトプット”ではなく、“伝える手段”としての提案型営業へ
- 名刺・封筒・チラシから、ノベルティ・小ロット対応・EC連動・パッケージまで拡張
- 既存設備の一部は売却、新規はクラウド印刷連携と外注活用に切り替え
- Web制作、動画編集、SNS運用まで受託メニューを拡充
「紙だけじゃ食えないなら、紙もデジタルも全部やる。」
こうして、本業の売上は徐々に回復。
現在は年商6億円、社員は20名ながら全員が“数字に向き合えるチーム”へと生まれ変わった。
粗利率は35%超、キャッシュフロー黒字。
借入依存も減り、金融機関からの信用も回復しつつある。
■ 結び:プライドを壊して、会社を守る
18億円を失ったことより、
「父の遺産に傷をつけた」ことが、私には一番つらかった。
しかし、今なら言える。
「父の遺産を、私なりの形で“守った”のだ」と。
過去のやり方を否定するのではなく、
“時代に合わせて、やり直す勇気”を持つこと。
それが、いまの経営者にとっての使命なのかもしれない。
【エスエスコンサルティングより】
本記事は、当社が関わった企業支援の実例を元に構成した内容です。
当社は、建設業・製造業・印刷業など、成熟業界の再構築支援を専門としています。
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