お問い合わせ 資料請求

資本主義と会社経営|なぜ“利益”だけでは心が空っぽになるのか?──「儲かっているのに、虚しい」 経営者の心にひそむ問いへ

2025年7月23日
エスエスコンサルティング株式会社の鈴木進一です。

建設業界を中心に、私はこれまで数百社の経営者と対話を重ねてきました。
その中で、ある共通する“空白”のような感覚に触れてきました。

「業績は悪くない。利益も出てる。なのに……なぜか、心が満たされない」

──この声は、もはや一部の特殊な経営者だけのものではありません。
むしろ、「利益」という数字の後ろに、見えない“空虚”を感じ始めた多くの企業人に共通する現代的な問いです。

この記事では、
アダム・スミスとカール・マルクスという経済思想の巨人を軸に、
「企業の存在目的」「資本主義の限界」「経営と哲学の接点」を深く掘り下げていきます。

単なる思想紹介ではありません。
現代の経営に“軸”を与える実践的な問いを提示する哲学エッセイです。

第1章:利益は「目的」なのか「手段」なのか

──資本主義がすり替えてしまった“本当の目的”



■ 「利益のために働く」ことの違和感

「利益を出すことが会社の目的だ」
多くの経営者が、口には出さずともその前提で経営を進めています。
しかし、その前提が経営の空虚さや不全感を生んでいるとしたらどうでしょうか。

私たちは知らず知らずのうちに、**「利益=目的」という資本主義の呪縛に囚われています。
気がつけば、社員に「数字を出せ」と言い、自分には「もっと儲けろ」と鞭を打つ。
その過程で、なぜ会社をつくったのか、何を実現したかったのか、その“原点”**を見失ってしまうのです。



■ 資本主義は「目的の転倒」を起こすシステム

資本主義というシステムは、もともと人々の豊かさを高めるための手段として登場しました。
しかし、時代が進むにつれ「利益の拡大」そのものが目的化していきます。

これは、経営学で言う**「目的と手段の転倒」**です。

たとえば──
• 働く理由が「生きるため」から「売上を達成するため」に変わる
• 商品をつくる理由が「社会を便利にする」から「市場シェアを奪う」に変わる
• ビジョンの掲げ方が「社会価値」から「事業計画の一部」に変わる

こうした現象が企業の中で日常的に起きていることに、どれだけの経営者が自覚的でしょうか。



■ 「儲かる」は結果であって、目的ではない

ここで私が問いたいのは、「利益は、目的か? それとも結果か?」というシンプルな問いです。
本来、利益とは企業が社会に価値を提供した結果として“ついてくるもの”のはずです。
• 人を喜ばせたから、利益が出た
• 社員がやりがいを持てたから、生産性が上がった
• 社会に必要とされたから、選ばれた

これが本来あるべき順序です。
しかし多くの経営は、その順序が逆転しています。
• 利益を出すために、社員を働かせる
• 売上を上げるために、顧客のニーズを操作する
• 投資家の期待に応えるために、社会課題を“装う”

この逆転現象が、経営における“虚しさ”の正体ではないでしょうか。



■ 社員は「目的」に共感して動く

また、組織マネジメントの観点からも、「利益至上主義」は長続きしません。
とくに、若手社員は「この会社は何のために存在しているのか?」という**“理念のリアリティ”**を敏感に見ています。

数字しか語らない経営者に、人はついてこない。
理念を掲げながら、実態が真逆であれば、社員は心を閉ざす。

利益という“数字”ではなく、**共感できる“物語”**がある企業に、人は集まります。



■ 目的を「回復」するための問いかけ

ここで、経営者としての自分に問いかけてみてください。
• この会社は、誰のために存在しているのか?
• この事業が生まれた「原点」は何だったか?
• 自分が本当にやりたいことは、何だったか?

この問いを避け続ける限り、どれだけ数字を積み上げても「空虚感」は消えません。



■ 「利益のために働く」ではなく「働くから利益が生まれる」へ

最後に、今一度、視点を転換してみてください。

「利益を上げるために働く」のではない。
「誰かの役に立つという実感」が、結果として利益を生むのだと。

この“逆転のパラダイム”を持つことこそが、これからの経営に求められる資本主義のリテラシーです。


第2章:アダム・スミスと“見えざる手”の誤読

──「自己利益=悪」ではない。誤解された経済思想の父

■ 「スミス=拝金主義」という大いなる誤解

アダム・スミスといえば、「経済学の父」と呼ばれる存在。
彼の著書『国富論(The Wealth of Nations)』に登場する有名なフレーズ

「人々が自己の利益を追求することで、社会全体の利益が実現される」
これは「見えざる手(Invisible Hand)」によって調整される

この一節だけを切り取って、スミスは「利己的であれ」「利益を追えば社会はうまくいく」と主張していたと誤解されがちです。

しかし、それはスミス思想の“表面”しか見ていない浅い読み方です。

スミスは、単なる拝金主義者でもなければ、資本主義を無条件に礼賛していたわけでもありません。
むしろ彼の出発点には、**深い「倫理」と「共感」**がありました。



■ スミスの出発点は『道徳感情論』にある

実はスミスが最初に書いた本は『国富論』ではありません。
それより17年も前、彼が28歳のときに出版したのが――

『道徳感情論(The Theory of Moral Sentiments)』(1759年)

この本で彼は、経済活動や人間行動の根本には、
「共感(sympathy)」という感情の働きがあると説いています。

人間は、自分の利益だけを追っているのではない。
むしろ、他者の痛みに心を寄せ、社会の目を意識し、良心によって行動する。
この「道徳的な人間観」こそ、スミスの出発点でした。



■ 「見えざる手」の本当の意味とは?

『国富論』の中で使われる「見えざる手」の比喩は、実はたった1回しか出てきません。
それも、絶対的な原理としてではなく、「時に、結果としてそうなることもある」という控えめな形で述べられています。

つまり、スミスが言いたかったのは――
• 人間は完全に善でも悪でもない
• 欲望や利己心が市場にエネルギーを与えるのは事実
• しかし、それを調整するには、共感・倫理・ルールが不可欠である

という、極めてバランスのとれた思想でした。



■ スミスが恐れていたのは「冷たい市場主義」

スミスはむしろ、現代資本主義のように「利益がすべて」「効率が正義」になることを強く警戒していた節があります。

彼は次のように述べています:

「商業活動が拡大し、利益だけを追い求める者が増えると、
やがて国家や社会の道徳が腐敗する危険がある」

この言葉は、現代の経営現場にも深く刺さります。
利益至上主義が生み出すブラックな働き方、倫理なき経営、社員のメンタル崩壊……
まさにスミスが恐れていた「非人間的な資本主義」が、今、広がっているのです。



■ 「正義と共感」を軸にした経済思想

スミスは、次のような三層構造で社会を見ていました。
1. 共感(sympathy):他人の感情を想像して、自分の行動を律する力
2. 正義(justice):自分の利益追求が他人に損害を与えないという枠組み
3. 利他(beneficence):正義を超えて、他者のために行動する美徳

つまり彼にとっては、「自己利益の追求」はOKであるが、それはあくまでも
共感と正義に守られた範囲内に限るという前提だったのです。



■ スミスが語った「長期的な信頼」の価値

スミスはまた、経済的取引の前提として、**「信用」と「評判」**の重要性を繰り返し説いています。

現代経営に置き換えるならば:
• 一時的な儲けよりも、長期的な信頼
• 数字よりも、理念と評判
• 強引な営業よりも、顧客との関係性の構築

これこそが、アダム・スミスが語った本来の「市場社会」でした。



■ スミスとともに考える「企業の意味」

アダム・スミスの思想から読み取れるのは、次のような企業観です。
• 経営とは、「他者の利益と自分の利益を同時に満たす」営みである
• 利益は目的ではなく、社会との信頼関係から生まれる“副産物”である
• 倫理・信頼・共感がなければ、いずれ企業は社会から淘汰される

これらの視点は、まさに現代のESG経営やパーパス経営にも通じる根幹的思想です。



第3章:マルクスの「労働疎外」と経営の空虚さ

──なぜ人は「働くこと」に疲れ果てるのか?

■ 経営者も“働かされている”のかもしれない

「儲かっているのに、なんだか心が満たされない」
「社員の顔に、生気がない」
「毎日、同じことの繰り返しで何も残らない」

こうした言葉は、従業員だけでなく、経営者からも聞かれるようになりました。
金銭的には成功している。
会社も動いている。
でも、どこか人間らしさを失っているような感覚がある。

この状態を、19世紀の思想家カール・マルクスは、すでに「資本主義の宿命」として喝破していました。



■ 「労働の疎外」とは何か?

マルクスが語った有名な概念に、「労働の疎外(Alienation)」があります。
簡単に言えば、人間が本来の自己を見失い、モノのように扱われていく現象です。

彼はこう指摘しました:
1. 労働の成果からの疎外:自分が生み出した製品を所有できず、商品として市場に吸い取られていく
2. 労働のプロセスからの疎外:創造性や主体性を奪われ、マニュアル化された反復作業を行う
3. 人間関係からの疎外:他者との協働が“競争”に変わり、人と人が信頼し合えなくなる
4. 自己からの疎外:働くほどに、「自分らしさ」が削がれていく感覚

これらが重なり合ったとき、人は仕事を“苦役”として感じ始めます。
働けば働くほど、自由から遠ざかる。
そして最終的には、自分が「商品」になったように感じてしまうのです。



■ 経営者も「労働者」であるという視点

マルクスの議論は、当時の“資本家vs労働者”という構造を前提としていました。
しかし、現代においては、経営者自身が“労働者化”しているという現象が起きています。
• 株主に数字で追い立てられる
• 市場に対して成果を出し続けなければならない
• SNSでの評価を気にしながら、自己ブランディングに奔走する

こうした状況では、経営者といえども“自分らしく経営する”ことが難しくなります。
つまり、マルクスが語った「労働の疎外」は、経営者にも忍び寄っているのです。



■ なぜ「人間らしさ」が失われるのか?

マルクスは資本主義を、「すべてを商品に変えるシステム」だと喝破しました。
労働力も、時間も、感情も、言葉さえも。
市場という舞台では、すべてが“価値”に変換されて取引される。

この世界観のなかでは、次のような“人間性の消失”が起きます:

本来の価値 市場価値に変換されると…
誠実さ 「顧客満足度」や「リピート率」へ換算される
仲間意識 「チームの生産性」へと評価される
学び 「即戦力」か「ROI」で計算される

本来、人間が持っていた“意味”や“関係性”が、数字で置き換えられてしまう。
それが、心の空虚感を生む根源です。



■ 働くことが「自由」であるために

マルクスが目指したのは、「すべての人間が、自分の意志と創造性をもって働ける社会」でした。
それは単なる共産主義的理想ではなく、**“人間が人間らしくあるための条件”**としての経済哲学でした。

彼はこう言います:

「自由とは、必要の王国を超えて、自らの目的に従って行動することである」

つまり、“食うために働く”を超えて、
“生きるために、自らの意思で働く”という状態を回復せよ――というメッセージなのです。



■ 経営者が陥る「自己疎外」の危機

現代の経営者は、しばしば次のような“疎外”に陥ります:
• 理念と現実のギャップに悩み、嘘をつくようになる
• 事業の成長が、自分の幸福と直結しない
• 社員や顧客との人間的関係より、数字に支配される

その結果、自分の会社でありながら、「この場所に自分がいないような感覚」になる。
まさに、**“経営者の自己疎外”**です。

この状態から脱却するには、企業のあり方そのものを問い直す必要があります。



■ 「利益なき経営」ではなく、「意味ある利益」を

マルクスは資本主義を全否定したわけではありません。
むしろ彼が目指していたのは、「人間の尊厳と意味を取り戻す経済」でした。

現代の経営者にとっても、それは同じです。
利益を否定する必要はない。
しかし、その利益が**“意味”あるものであるかどうか**が問われているのです。



■ 第4章予告:資本主義の罠と現代企業の変容

スミスとマルクスという両極の思想家を経て、次章ではいよいよ、
**現代の企業経営における資本主義の“罠”**を掘り下げていきます。
• なぜ企業は「短期的な数字」に支配されていくのか?
• なぜ“理念”が空文化してしまうのか?
• ESG・パーパス経営は資本主義の脱出装置になり得るのか?

そうした問いに、真っ向から向き合ってまいります。



第4章:資本主義の罠と現代企業の変容

──数字に追われる経営、理念が空文化する理由



■ 「利益を出せば、それでいいのか?」という違和感

業績は伸びている。数字はクリアしている。
けれど、社員が疲弊し、顧客との関係も機械的。
社内に笑顔がなく、理念は社訓ポスターのように壁に貼られただけの存在になっている――。

これは、今の企業経営が抱える“構造的な空虚さ”の典型です。
そしてそれを生み出しているのが、資本主義のもつ強烈な“短期性”の罠です。



■ なぜ企業は「短期数字」に支配されてしまうのか?

多くの企業が、毎月・毎四半期・毎年の目標に追われています。
それは経営の管理としては当然のことかもしれません。
しかし、この**“スパンの短さ”こそが経営の視野を狭め、理念を破壊する根本原因**でもあります。
• 四半期決算に追われて、長期ビジョンが持てない
• 今月の数字を作るために、社員に無理をさせる
• 売上のために、商品価値を誇張する

こうした“近視眼的な判断”が、理念を形骸化させ、企業文化を壊していきます。
これは、個人ではなく構造が生む問題です。



■ ショートターミズムと「理念の空文化」

今、多くの企業が「理念はあるのに、社員に浸透していない」という悩みを抱えています。
なぜ、理念が“形だけ”になってしまうのか?

答えは簡単です。
短期的成果を重視する経営では、理念が“経費”に見えてしまうからです。
• 社員教育より即戦力
• 丁寧な顧客対応より業務効率
• 採用のフィット感より早期の人員確保

こうして、本来“中長期でこそ価値を発揮する投資”が切り捨てられ、
理念や文化はコスト扱いされ、実行されなくなるのです。



■ 資本主義が「数字中毒」を生み出すメカニズム

なぜ経営者も社員も、ここまで数字に追われるのでしょうか?

マルクスは「貨幣には人格を奪う力がある」と語りました。
現代ではそれが“データ”や“KPI”に姿を変えています。

数字は便利です。比較でき、記録でき、管理できる。
しかし一方で、測れないものを「無意味」と見なす文化をつくり出します。

測れるもの     測れないもの
売上・利益・稼働率 志・誠実さ・信頼・やりがい
顧客数・CV率     顧客との深い関係性
効率・生産性     文化・美意識・倫理性

測れるものだけが正義になったとき、企業から“魂”が抜けていきます。
これが、**資本主義が生む「意味の喪失」**という深い問題です。



■ 「ステークホルダー資本主義」という潮流

この問題を解決するヒントとして、最近注目されているのが「ステークホルダー資本主義」という考え方です。
これは、株主だけでなく、社員・顧客・地域社会・環境といった**多様な利害関係者(ステークホルダー)**の価値を同時に追求する経営モデルです。

欧米では、世界的企業も次々とこのモデルに転換しています。
• 米ビジネス・ラウンドテーブル(BRT)による「株主第一主義の終焉」宣言
• BlackRockのラリー・フィンクによる「パーパス経営」推進
• 日本企業でも広がるESG投資と人的資本経営

これらの潮流は、まさに「利益至上主義では企業は続かない」という実務的な危機感から生まれています。



■ ESG・パーパス経営は「魂の回復」になるか?

ESG(環境・社会・ガバナンス)やパーパス(存在意義)経営は、企業の“魂の回復”を目指す取り組みでもあります。
しかし、ここにも注意点があります。

それは、「パーパスの“パフォーマンス化”」です。
• ホームページに理念を掲げただけ
• SDGsのロゴを並べただけ
• 社会貢献を一過性のキャンペーンにしてしまう

こうした“上っ面の意味づけ”では、かえって社員の信頼を失い、内部から崩壊していきます。



■ 本物のパーパス経営とは、「利益を否定しないこと」

パーパス経営とは、「利益を否定すること」ではありません。
むしろ、利益を“目的”ではなく“手段”として位置づけ直すことです。
• 利益は、理念を実行するための燃料である
• 会社は、社会の課題に対する“志”を実行する手段である
• 働くとは、自分の価値観を社会で形にすることである

こうした順序の回復こそが、現代の経営における“本質的な再構築”です。



■ 「数字の経営」から「意味の経営」へ

私たちは、もう一度「企業とは何か?」という問いに立ち戻る必要があります。
数字は大事です。しかしそれは“航海図”にすぎない。
どこへ向かうかを決めるのは、「理念」であり「志」であり、何よりも「経営者自身の問い」です。

この章の最後に、問いを置いておきます。

あなたの会社が、この世界に存在する“意味”は何ですか?
その答えに、社員も顧客も共感できますか?


第5章:企業理念はどこまで“本気”で語られるべきか

──理念なき経営が生む「内側からの崩壊」

■ 企業理念が“社訓”に落ちてしまう瞬間

多くの会社には「企業理念」があります。
しかし、それが本気で語られている会社は、どれほどあるでしょうか?
• 壁に貼ってあるだけ
• 朝礼で唱和するだけ
• 採用パンフレットに載せるだけ

本来、「企業理念」とは経営の土台であり、判断の基準であり、社員と会社を結びつける精神の軸であるはずです。

にもかかわらず、実態は「建前」や「形式」にとどまり、言っていることとやっていることが一致していない企業があまりにも多いのです。



■ 理念が“空気”になると、会社は静かに崩れる

理念を掲げているのに、社員が誰もその中身を語らない。
むしろ「本気で語ったら浮く」という雰囲気すらある。

これは極めて危険な兆候です。
なぜなら、企業文化は“空気”から崩れるからです。

社員がこう感じたとき、企業の崩壊が始まります:
• 「この会社にいても、自分が成長できる気がしない」
• 「ここにいても、何のために働いているのかわからない」
• 「理念と現実が違いすぎて、信じられない」

いわば、「理念への絶望」こそが、離職やモチベーション低下の最大の要因なのです。



■ 若者は「理念の嘘」に敏感である

今の若手社員は、上の世代とは異なる価値観を持っています。
• 単なる給料ではなく「意味ある仕事」を求める
• 評価制度よりも「納得できる理由」を重視する
• 上司の肩書きではなく「人間として尊敬できるか」を見る

彼らにとって企業理念とは、「額縁に飾るもの」ではなく、日々の行動で証明されるべきリアルな価値観です。

だからこそ、理念が現実と乖離していると、一気に心が離れます。
その“離脱”は、静かに、そして確実に組織をむしばみます。



■ 理念は“語るもの”ではなく“生きるもの”

理念は、経営者が一方的に語るものではありません。
日々の意思決定、社員との会話、顧客対応の中に生きているかどうかがすべてです。

たとえば:
• 「誠実」を掲げる会社が、納期をごまかしていないか?
• 「人材を大切に」と言いながら、教育をおろそかにしていないか?
• 「社会貢献」と言いながら、目先の利益を優先していないか?

社員は、経営者の“後ろ姿”を見ています。
その姿こそが、理念の「証明」です。



■ 理念が真に浸透した企業の強さ

理念が本気で語られ、浸透している会社は、数字では測れない“底力”を持ちます。
• 社員同士が自発的に助け合う
• 難しい局面でも、判断がブレない
• 顧客との関係が「取引」ではなく「信頼」になる

こうした状態は、「パーパス経営」や「人的資本経営」と呼ばれる文脈にも通じていますが、
本質は極めてシンプルです。

「この会社は、何のために存在しているのか?」
「その“何のため”に、私は共感しているか?」

これに“YES”と答えられる社員が多いほど、企業は強く、しなやかになります。



■ 経営者自身の“問い直し”から始まる

理念の浸透は、制度でも施策でもありません。
**経営者自身が“本気で理念を信じているかどうか”**がすべてです。

• 社員に理念を語る前に、自分は理念に生きているか?
• 利益と理念がぶつかったとき、どちらを選ぶか?
• 誰も見ていないときでも、理念に従えるか?

これらの問いを経営者自身が真剣に抱え、語り続けることこそが、最強の理念浸透策です。


これまで見てきたように、
• 利益至上主義の限界
• スミスとマルクスが描いた“人間らしい経済”
• 意味の喪失とパーパス経営の可能性
• そして理念を生きるという実践

すべては、「資本主義の中で、企業はいかに“意味”を取り戻すか?」という問いに通じます。



第6章(終章):経済と哲学の交差点に立つ経営者へ

──「なぜ私たちは、会社を経営するのか?」

■ 経営とは、問いを背負う仕事である

経営者とは、“問い”を生きる存在です。
なぜこの事業をやるのか?
なぜこの社員を採用したのか?
なぜこの未来を選ぶのか?

答えのない問いを、誰よりも先に受け止め、
決断と責任を背負い、道なき道を切り拓く。
それが、経営という営みの本質です。

しかし、気づけば経営は“数字の戦場”に変わっていました。
• KPI
• 売上目標
• ROE
• EBITDA

重要であることに違いはありません。
けれど、数字だけでは人は動かない。
数字だけでは、会社は続かない。
そして何より、数字だけでは、心は報われないのです。



■ 「哲学」とは、孤独な経営者の味方である

このシリーズを通じて、私はアダム・スミスとカール・マルクスという二人の思想家を取り上げました。
彼らは異なる立場に立ちながら、共にこう問い続けました。

「経済とは、人間にとって何なのか?」

そしてこの問いは、そのまま私たち経営者に投げ返されます。

「経営とは、あなたにとって何なのか?」
「儲かっていても、なぜ心が虚しいのか?」
「この人生をもう一度繰り返しても、同じ道を選ぶか?」

それに答えられるのは、自分しかいません。
だからこそ、哲学は経営者の味方なのです。
声を荒げることもなく、評価もしない。
ただ、そっと寄り添い、あなたの内側にある“本音”を言葉にしてくれる存在です。



■ 「会社は、何のために存在するのか?」

これは、最もシンプルで、最も本質的な問いです。
• 儲かるため?
• 雇用を守るため?
• 社会に貢献するため?

どれも間違いではありません。
しかし、あなたの会社が存在する意味は、あなた自身が言葉にしなければ決して見つかりません。



■ 経営とは、意味をつくり続ける行為である

哲学者マルティン・ハイデッガーはこう言いました。

「人間とは、意味を問う存在である」

経営者も同じです。
会社の売上や成長を追いながらも、心のどこかで問い続けている。

「これは誰のためになるのか?」
「自分は何を実現したかったのか?」
「この道を、もう一度選びたいと思えるか?」

経営とは、「選択」と「意味づけ」の連続です。
その営み自体が、哲学なのです。



■ 「意味のある会社」は、やがて“永続”する

最後に、未来の話をしましょう。

100年続く会社は、いったい何が違うのか?
それは「財務力」でも「商品力」でもなく、
「存在意義(パーパス)」が社内外に共有されているかどうかです。
• 社員は「この会社にいる理由」を持っているか?
• 顧客は「この会社を応援する理由」を持っているか?
• 経営者は「この会社をやる意味」を言語化できているか?

この“意味の輪郭”を、言葉にし、制度にし、文化として育てていく。
それこそが、永続企業の条件です。



■ 「この人生をもう一度繰り返しても、あなたは同じ道を選ぶか?」

これはニーチェの有名な問い、“永劫回帰”です。
そして私は、この問いをすべての経営者に贈りたい。

あなたは、今日のこの判断を、何度でも繰り返したいと思えるか?
この会社、この道、この仲間を、もう一度選びたいと思えるか?

もし「はい」と答えられるのなら、
その経営には“魂”があります。

そしてそれこそが、数字を超えた、
**本当の意味での“成果”**なのではないでしょうか。



■ エスエスコンサルティング株式会社より、経営者の皆様へ

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
私は、エスエスコンサルティング株式会社の代表として、
これまでに数多くの“悩み、迷い、葛藤する経営者”と対話をしてきました。
• 黒字倒産寸前の資金繰り
• 理念と現実のギャップに苦しむ経営幹部
• 「会社をやめたい」と漏らした創業社長

そのすべてに共通するのは、
**「経営とは、数字を超えた“生き方”である」**ということです。



📩 経営の問いに、一緒に向き合いませんか?

私たちの役割は、単なる経営改善やコンサルティングにとどまりません。
数字だけでは見えない“経営者の本音”に向き合い、
理念、ビジョン、資金、人材、組織文化まで、一気通貫で支援する伴走者でありたいと考えています。

経営に“哲学”を取り戻したい方。
“意味ある会社”をつくりたい方。
「この道を、もう一度選びたい」と思える経営をしたい方。

どうか一度、お話をお聞かせください。



▶ お問い合わせはこちら

https://ss-consul.co.jp/contact

関連記事